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ROCK DIARY 5ページ目

2022年12月15日(木) 日々ROCK的な・・・




ドラムの音ってバンドにおいては
とても大切なパートで
どれだけボーカリストが上手くても
ギターが上手くても
ドラムのリズムが良くないと
聴いていても
複雑な気持ちに
なることが
あります
 
ドラムがメインというか?
そう感じるバンドもいくつか
あります
 
例えば
ザフーは
キースムーンの
ドラムの音が耳に残ります
 
レッドツェッペリンの
ジョンボーナムの音も
同じく印象的でもあります
 
TOTOのジェフポーカロもそうでした
 
ヒップホップバンドのザルーツの
クエストラヴのドラムの音を聴いたときも
同じでした
 
少年時代にフュージョンを聴きはじめたときも
スタッフのスティーブガッドのドラムもそうでした
 
きりがないのですが
 
どのバンドもドラムの音が僕の耳には
異常なほどにはいってくることが
とても多いのです
 
アマチュアバンドにおいても
ドラムの音が僕にはとても
気になるところでもあります
 
ここ20年くらいで
 
アマチュアバンドのテクニックは
技術的にとてもあがってきていると
思う事があります
 
やっぱり僕らの頃には
なかったスマホやPCなどで
世界中の情報がリアルタイムで
見れるし、聴けるということも
大きいことなのだとも感じます
 
ドラムの音にも
個性があり
その個性を技術と共に生かせていけたら
きっともっともっと
いいリズムとなるのだと感じます



2022年12月14日(水) 日々ROCK的な・・・



僕がベースの音にとりわけ興味を持った
きっかけはジェフベックがスタンリークラークと
演ってからなんですね・・・
 
70年代にはソウルトレインがテレビで放映
されていましたので、そこではよくグラハム
セントラルステーションが出演していることも多く
スラップなるテクニックのラリーグラハムには
度肝をぬかれるほど驚きました
 
ザフーのジョンエントウィッスルもそうです
めちゃめちゃベース奏法が早くて凄い感動だったんですよね
 
高校生になってからはジャコパストリアスや
モダンジャズを聴きはじめてロンカーターを知り
どんどんベースの音には興味を持つように
なっていったんですよ
 
ベースと言えば僕らの時代は
 
やっぱり
ジョンポールジョーンズだしロジャーグローバーだし
ジョンウェットンやグレッグレイクが大好きでした
 
しかし、その流れとは別に
ベースのかっこよさをスタンリークラークや
ジャコパストリアスなどに教えられた感じもします
 
ジェフベックがギター殺人者の凱旋のアルバムを
出したときは、ホントかよ!って感じだったんですよ
 
全部インストじゃ、こりゃロックじゃネーよ!
 
みたいな思いもあったんですね
 
でも
 
時代はどんどん変わっていく背景も
あったので
 
さすがジェフベックは見据えていた感じもします
 
ギター殺人者の凱旋はまだスタンリーではありませんけど・・
 
ポールマッカートニーのベースの音も
僕は個人的に大好きで
ヘフナーよりも
ウィングス時代のリッケンバッカー音が大好きでした
 
ロジャーグローバーもそう言えばリッケンでしたね・・
 
よく音楽好きの友人たちとは
このベースいいよねとか
話すのですが・・
 
案外
各パートでは聴いている人も少なくて
話ができる人って
少ないんですよね
 
このドラムに注意して聴いてみてよとか
 
バンドは
 
ボーカルがギターがだけじゃないんですけどね・・


2022年12月12日(月) 日々ROCK的な・・・



ロックバンドにキーボードプレイヤーは必要ない? 
 
しかし、プログレを聴く様になってからは
その捉え方は間違いだと思ったものですし・・
 
そして何よりもレオンラッセルやエルトンジョン
はピアノを弾いて歌うわけですし
その考えは僕の中ですぐにうちけしとなりました
 
中学の頃にNHKのヤングミュージックショウで
EL&Pを観ました
 
それまでイエスもピンクフロイドも聴いていましたし
もちろんレコードではEL&Pも聴いていました
 
しかし、映像などは観たことなかったので
感動というよりはキースエマーソンのキーボード
プレイに驚いてしまったんですよね
 
ギター壊すとかドラム蹴飛ばすとか
あっても
まさかねえ・・
 
そのまさかをキースエマーソンはやって
しまってるんですから
10代の僕としては驚くしかありませんでした
 
そしてキースエマーソンは見ためもかっこいい
 
だいたい鍵盤楽器のミュージシャンってクラッシック
あがりの人も多いのでロックとはほど遠い感じもしてました
 
キースエマーソンは僕の中でも特別だったんだと
思うのですね
 
でも僕としてはピンクフロイドのほうが
好きな曲が多いし、なんと言っても
リチャードライトのプレイがレコードを
聴いていても大好きでした
 
イエスの場合はリックウェイクマンよりも
一時期に在籍したパトリックモラーツが好きでした
おそらくリレイヤーのアルバムが好きだったからかも
しれません
 
キーボードといえば
ジョンロードも存在感あるプレイを見せて
くれました
 
Dパープルの音ってやっぱりジョンロードの
プレイはとても重要だったと思います
 
キーボードプレイヤーやピアノの弾き語りにしろ
好きなアーティストって沢山いますので
きりがない話でもありますが
 
バンドにおいてキーボードを必要とする
楽曲もあるので
 
曲をつくる人はいろいろと模索するんだろうと
よく考えたものでした


2022年12月11日(日) 日々ROCK的な・・・



ボーカリストについて
僕、個人的なお話をさせてくださいね・・・
 
あくまでも、個人的な事です。
 
と言うのは各パートの楽器と比較しても
バンドにおけるボーカリストというのは
ある意味、とても重要な部分でもあります
 
なので、楽器パートどれもが重要だということは
先に話してきましたのでお許し願います
 
ギターのお話は
また後日とさせていただきます・・・
 
バンドにおけるボーカリストは
サッカーで言えばフォワードであり
野球で言えばピッチャーであり4番打者
 
ボーカルが良ければある程度はバンドが下手でも
ボーカリストに目がいくのでカモフラージュさえ
できる場合もあります
 
歌が上手いというのは
 
声質が僕はもっとも重要なことではないかと
考えてきました
 
もちろん歌唱力は
ないより
あったほうがいいに決まってます
 
しかし、それも楽曲によりますよね
 
そのボーカリスト個人の特性を生かした
曲や詞があって本当にいい部分を惹き出せる
と考えてきました
 
なので、このボーカリストにこういう曲は
あわないとか
こういう歌を歌わないほうがいいとか
勝手に子供の頃からそう思いながら
レコードを聴いていたりしたものです
 
例えば、ザビートルズはポールとジョンが
メインでボーカルを担当しておりますが
ジョージもリンゴも歌います
 
そのときに、レットイットビーをジョンの
ボーカルだったらどんな感じになるだろうとか?
ジュリアをポールの弾き語りで歌ったらどう聴こえるのだろうとか?
そんなことをよく考えて聴いたものでした
 
現代では各ボーカリストがカバーアルバムを
出す時代になりました。
 
どのカバーを聴いてもなかなかオリジナルを
超えられないというのがほとんどで
オリジナル曲を聴いたことがなくて最初に
カバー曲のボーカルを聴いた場合は
もしかしたら
違うのかもしれませんね?
 
イカ天ではじめて
ブランキージェットシティが出て来たとき
震えるほどかっこいいと思ってみてました
 
しかし、ベンジーの歌声を聴いて・・・
 
えっ?
 
そう思ったのは僕だけでしょうか?
プロとなって
だんだん
ベンジーにしか出せない個性的な声だと
後から感じたものです
 
70年代にユーミンがはじめて
テレビ出演したときにひこき雲を
聴いたときも同じ感覚を味わいました
 
シオノギのミュージックフェアです
 
キャラメルママがなんで新人のバックバンドを
演っているんだろうと思って観ていました
 
当時僕は中学生でした
 
ユーミンの声もだんだん聴いている
うちに慣れてきましたし
ユーミンの声だから
いいのだと
そう
思えるようにもなりました
 
個性的な声
 
けして
誰しもが
ホイットニーヒューストンや
マライアキャリーみたいに歌える
必要なんてないし
逆に中途半端な声がでますよ
程度の歌唱法なら
聴いていて僕は凄いと思うよりは
逆に何も感じないことのほうが
多いのです
 
音程がはずれるというのは
聴いていてつらいものがありますが・・(ハイドとか)
 
音域を求められる歌をだれしもが
上手いボーカリストであるとは
思っていないということでもあります
 
ボーカリストがかっこいい
というのは
これはビジュアル的に絶対だと
僕は思っておりますが
 
この
 
かっこいいというのも
 
見方によっては
全然違う意見もあるものです
 
いいボーカリストであっても
やはり
楽曲にめぐまれないと消えて行った
アーティストはこれまで
沢山みてきています
 
バンドのメンバーとの出会いも縁であり
楽曲に出会うことも縁なんですよね
 
努力じゃ
どうすることもできない
場合もあります
 
ボーカリストでは
誰が好きですか?の問いには
そのとき
それぞれですので
それに
答えるのも
難しい
話ですね
ギタリストは誰が
好きですか
のほうが
答えやすいし
ベーシストもドラマーも
それぞれに答えられますが
 
ボーカリストともなると
僕は単純にリスナーなので
答えられないんですよね
 
ちなみに僕は声質で注目してきのが
ヒップホップのアーテイストたちです
これは僕にとってリスナーとして
わかりやすい
例でした
 
好きな声質がヒップホップですとわかりやすい
エミネムのような白人によるラップ
例えば日本人でも同様です
 
ラップこそ
声質によっては
あまり好きじゃないものもあるし
上手くないラップでも
声が好きだから
OKみたいなこともあります
 
所謂
ボーカリストも
そういう
意味では
独自の声質なんだと
思うんです


2022年12月10日(土) 日々ROCK的な・・・



シティミュージックについて少しだけ・・・
 
昨今、世界的にシティミュージックが流行しておりますが
そもそもシティミュージックなるものはニューミュージック
の流れから70年代中期〜80年代にかけて流行していった
ポップミュージックのひとつでした
 
日本におけるシティミュージックは僕が知りえる中では
初めて聴いたオフコースでした。
 
フォークソング全盛の
時代に小田さんのつくる楽曲はあきらかにフォークソングでは
なくて僕の耳には歌謡曲?でもありえる楽曲でした
 
それは、山下達郎のシュガーベイブも同じ事が言えたし極めつけは
荒井由実の登場がそうでした
 
キャラメルママ(ティンパンアレー)は
はっぴいえんどの頃の流れとは違っていて
曲や歌詞の内容が都会的と言うのか?なによりも
演奏そのものが違いを感じたものです
 
日本人ロックと言いますと
最初期が日本語で歌うはっぴいえんどが
日本の最初のロックバンドと言われる事も
お多いのですが、僕にしてみれば
はっぴいえんどはそもそも岡林信康の
バックバンドだろ?フォークの流れから
きているんじゃないのか?
ボブディランがザバンドをバックにして
いたあの雰囲気を岡林は出したかったのでは
ないのか?そんなふうにみていました・・
 
日本のロックの流れをつくったのは
故、内田裕也が先頭をきっていたし
GS後のロックのイメージを僕らが
少年時代に見せてくれました
 
GSといえば、ジャックスやモップスは
あきらかに違いもありましたし、それは
日本のロックの先駆者とも言えたのでは
ないかと思うのです
 
後追いで知った
裸のラリーズも相当古くから
日本人ロックを演っていましたね
 
シティミュージックに戻ります
 
アメリカのロックを僕が聴きはじめたのは
74年頃からでした、当時中学生だった僕は
スティーリーダンをはじめて聴いたとき
あれっ?この感じウエストコーストとは
なんか違うなという感じがしました
 
その後、ボズスギャッグスのロウダウンを聴いたときも
そんな感じがしましたし、ドゥビーブラザースにマイケル
マクドナルドが参加したときも同じ感覚を持ちました
 
そういう意味ではAOR的流れと日本のシティミュージック的
流れはほぼ同じ時代の流れがありましたが
 
僕の個人的な意見としては
故、加藤和彦も日本ではもっとも早くから
ロックの雰囲気を変換したアーティストであったと
思っております
 
AORブームに火をつけたのはアメリカよりも
日本人リスナーであったのは言うまでもなく
 
音楽の歴史を考えるとシティミュージックが
AORよりも早かったのは確かだと僕は捉えております
 
そもそも
AORじたい日本人がつくりあげたジャンルであり
アメリカのミュージシャンがAORというジャンルを
知ってのことではけしてありません
 
僕らの世代のロックファンはシティミュージックを
嫌った人達も多くいました
 
あんなの歌謡曲じゃん!!!
 
そうですね・・
 
ロックじゃないですね!
 
しかし、シティミュージックの違いは
明らかにアレンジャーの存在がもっとも
大きな事だったと言わざるおえないし
なにより
サウンドにこだわった録音やバンドの
質も60年代後半からあったのだと
言う事だったと思うのです


2022年12月9日(金) 日々ROCK的な・・・



僕自身がこんなにも音楽好きなのに
ミュージシャンは夢の夢だったというお話です
 
ギターをはじめるきっかけというのも
ギタリストにしてみれば様々な理由もあるとおもうのですが・・・
 
僕自身はギターをはじめて手にしたのが小6の頃でした
兄が2人いましたのでビートルズ好きの兄たちにしてみれば
家にギターがあるのは60年代、70年代にしてみれば
珍しいことでもなかったと思うんです
 
僕は幼少期からビートルズやストーンズを聴いて育って
きましたのでギターにも非常に興味を抱きました
 
中学にはいった頃は(73年頃)全国的にフォーク
のブームでしたのでアコギは音楽好きは案外持っている
人も多かったものです
 
中学時代は学校から帰ると譜面を見ながら、吉田拓郎や
井上陽水や泉谷しげるなどのギターの練習をしたものです
 
ハーモニカホルダーも買ってハーモニカも吹きながら
フォークの真似をしましたね
 
僕は13歳頃から作詞をはじめてギターコードで自作の
曲もずいぶん作りはじめたんですね
 
というのは、コピーじゃ面白くないなんて
そんなふうに思ったからです
 
なんと言いますか・・
 
僕は想像力だけは結構あって
想像して遊ぶことが大好きだったんですよね
 
しかしです
 
僕は声が低くて歌もうまくならないし
ギターもハイコードを抑えられないし
ああ、俺にはミューシャンなんて無理だなった
すぐに断念しました
 
だから・・
 
文化祭になると
音楽好きの友人たちがステージで
演奏しているのが
とにかく羨ましかったし
悔しかったですね
 
悔しくても、むいていないんだから
しかたないんだと自分に言い聞かせて
いました
 
それは、高校の文化祭のときも
同じく、むいていないんだから
しかたないよということでもありました
 
悔しいなら練習をすればという話ですが
なんとなくですよ
 
俺にはむいてないんだと
言い聞かせました
 
中途半端にもし僕が歌やギターが上手かったら
きっと30歳になっても40歳になっても
生涯において僕の性格から言うと
プロになることを諦めていなかったと
思うんですよね
 
上京してからバンド演っているアマチュアの
友達から自作の録音のカセットテープを
何度も
いただいたし、ライブも観にいきました
 
いつも感じることは
演奏もそうなんですけど
ビジュアルかな
 
アマチュアだからこそ
ビジュアルくらいプロよりも
かっこよくなれたらもっと
いいのにって思うかんじでした


2022年12月8日(木) 日々ROCK的な・・・



ギタリストについて僕の個人的な解釈とジャンル、また
音の違いについてお話させていただきますね・・・
 
僕は先にもお話させていただいているとおりただのリスナーであり
ミュージシャンではないので楽器の事や機材などについての
知識はありません
 
これまで僕は沢山のギタリストに刺激を受けてきておりますし
僕の人生はその時々のギタリストの音に魅せられてこれまで
どんな辛いときでも乗り越えてこれたと思っております。
 
数々のギターヒーローは僕にとっては生きる励みとなって来た事を
大袈裟かもしれませんがそんな想いもあるのです・・
 
僕にとってのギターヒーローの始まりは、時代背景的にヤードバ−ズからの
俗に言う3大ギタリストになります
 
エリッククラプトンにおいてはクリーム、ジョンメイオールブルースブライカーズ、ブラインドフェイス、デレク&ドミノスと
ギターサウンドだけではなくファッションにもだいぶ感化されてきました
特にデレク&ドミノスやデラニー&ボニーにおいてアメリカ南部のレイドバック、
サザンロックは10代の僕を虜にしていきました。オールマンブラザースバンドに
のめりこむきっかけもクラプトンが導いてくれてと言っても過言ではありません。
クラプトンはそれだけではなくブルースのかっこよさを教えてくれた教祖的な存在でもありました
BBキング、アルバートキング、フレディキング、ロバートジョンソン・・数々のブルースギタリスト
に興味を持たせてくれたのもクラプトンのおかげです。
 
クラプトンがギターの神様とよばれるのは
僕が個人的に思う事は、数々のギタリストを世界中に知らしめて来た張本人であり
その偉大な功績ははかり知れません。
 
そしてジェフベックは歌を歌わない正真正銘のギタリスト、僕がインストに目覚め
クロスオーバー、そしてフュージョンにのめりこむきっかけつくってくれたのが
ジェフベックでした。数々のテクニックのあるフュージョン界のレジェンドギタリストを
聴くきっかけにつながりました。
 
もしもあの時代(70年代中期)にジェフベックがインストではなくて
常にボーカリストをしたがえていたならば、僕が中学生でフュージョンを
聴くことはなかったかもしれません。ベックボガート&アピスは衝撃的な
スリーピースでしたし、あのカタチこそ本来ロックとしてシンプルに
かっこいいと思えるものでした
 
ジミーペイジのつくりあげたレッドツェッペリンの数々の名曲、そして
ペイジにしか出せないギター音!10代だった僕がもっとものめりこんだのが
クラプトンではなくベックではなくジミペイジでした。
 
レッドツェッペリンという音は10代の頃の僕のもっとも刺激くれた
サウンドだったのです
 
あの頃、ジミーペイジはギターがへたすぎる!ギタリストとしては
最低レベルだと酷評される中、ペイジはギターが上手くても曲が
良くないのはダメだと言い切りました
 
10代だった僕は、いやはや、そのとおりだと思ったものです
 
僕らの時代、もっとも衝撃的だったのは
やはりジミヘンドリックスの存在だったとも思うのです
 
僕はギタリストを語るときジミヘンドリックは語らない
ことに決めています。
 
それはあまりにも特別な存在だったからです。
(そんなロックフリークスは僕だけではなくて沢山いると思うのです)
 
三大ギタリストに続いて中学時代にやはり感化されてきたのが
リッチーブラックモアの存在でした
 
ギタリストを語る時にリッチーの存在はあまりにも大きな存在です
 
70年代中期、リッチーはいまやエリッククラプトンの時代ではない
俺の時代なんだとリッチーは言い放ち
 
いやはや、かっこいいと思ったものです
 
ギタリストの話はまだまだ続きますが
とりあえず、三大ギタリストとジミヘンドリックス
リッチーブラックモアの5人は僕らの時代は
特別な存在だったということなんですよ
 
これはギターワールドに惹き込まれる僕の
個人的な最初期の話です
ここからが本題にはいりたいのです・・・・・


2022年12月7日(水) 日々ROCK的な・・・



ギタリストのプロはいったいどんなきっかけで
ストラトやテレキャスターやレスポールを選ぶことに
なるのでしょうか?
 
はたまたグレッチもしかり
あるいはモズライトも同じく・・・
 
そのほとんどは、自分がリスペクトするギタリストと
同じモノを使いたいからの理由が最初のきっかけが
ほとんどだと思うのです。
 
もしも僕もギターが上手かったなら
ニールヤングが使用していたギブソンのOld Black
69年製をいずれ手に入れたいと思っていたのかも
しれません・・・
 
さて僕は15歳くらいまではブリティッシュロックを
聴いてきたのですが、その後アメリカのミュージシャンにどんどん魅せらて行きました
 
オールマンブラザースといえばデュアンオールマンと言いたいところですが
ディッキーベッツのカントリー的なアプローチやギター音が僕の心には響いて
きました。なのでウォーレンヘインズがギタリストとして採用されたときは
最初は違和感でしかなかったんです。このギターの音はオールマンにはあわない
そう思っていました。しかしデレクトラックスは最初から違和感は感じた事がありません。
 
しかし、言うほど僕には上手いギタリストには思ってはいませんでした。まだ
ここまで有名になる前は恵比寿のライブハウスでも来日時演ったことがあったので
一番前観た事もありますがテクニックはあるのですが、僕には当初、響いてくるものが
なかったのは確かです
 
僕は思春期の頃から、人の言う事を話は聞くけど、うのみにしないで
自分で判断するようにしてきました。
 
なので音楽評論家の話は参考にはするけど僕的言えば
当たっていないことがほとんどだと感じて来ました
 
なにが、現代の三大ギタリストだよ!
 
そもそも三大ギタリストなんてつける意味がまったくお門違いです!
 
ザバンドのロビーロバートソンは僕がもっともリスペクトするギタリストの
お一人でもあるのですが、ロバートソンが抜けてからのザバンドは名前を
変えるべきだったと思う所もあるのです。
 
と言うのはロバートソン以外にザバンドのギターはできない!それって
ツェッペリンで言えば、ボンゾの変わりのドラマーがいないということと
同じ感覚なんだと思うのです
 
ライクーダーの音楽との出会いは僕にしてみればアメリカ音楽を聴きはじめた
ことで注目しないわけがありませんでした。
 
当然、ライのつくりあげたサウンドトラック
アルバムもオリジナルアルバムも全部聴いてみて、そしてライに出会ったからこそ僕は
ワールドミュージックに興味を持ったということもありました
 
ライのギターへのリスペクトもかなりありまして
ライほど音楽を熟知しているミュージシャンもいないのではないかと思う所もあります。
ギターのテクニックも僕は白人では超一流でありBBキングをはじめ三大キングのどの人と
演奏を共にしても違和感のないギタープレイを魅せてくらている思うのです
 
デビッドリンドレーのギターテクニックとの出会いも僕にしてみれば鳥肌のたつことだったし
リンドレーもリスペクトし続けてきております。
 
以前、ライとリンドレーのギターだけのライブを五反田の簡易保険ホールで観た事がありました
あれは大袈裟ではなく僕を大感動させてくれたライブのひとつでした。
 
ライとリンドレーの音楽のルーツがとにかく僕は大好きなんですね!
アメリカの古くからある音楽であったりワールドミュージック!
たまらなく心に響きます
 
ギタリストの名前を出して僕の人生を支えてくれた音楽
をお話しますと、まだまだ沢山いますし語り尽くせない
感じもします
 
ジョニーウィンターやスティビーレイボーン、ビリーギボンズ・・・
 
アメリカ音楽から
僕の人生の半分以上は支えられてきたんですね・・
 
ギターの話はまだまだ続きます・・


2022年12月5日(月) 日々ROCK的な・・・



マークボランとの出会い!そしてデビッドボウイとの
出会いが僕の人生を決定しました・・・
 
1972年小学6年生から73年の中学に上がる頃でした
 
僕自身は完全なるノーマルでもありましたが、小学生当時テレビで
見る美輪明宏、ピーター、美川憲一、カルーセル麻紀・・・
などにひじょうに興味を抱いてました
 
妖麗であり、男なのに女、女なのに男・・
どっちともつかないその姿に魅了されていました
 
後に知る言葉で、耽美的な・・・
 
谷崎潤一郎、三島由紀夫。永井荷風、夢野久作・・
オスカーワイルド、ボードレール、マキルドサド、エドガーアランポー・・・
 
そして極めつけは、アルチュールランボウやその訳した小林秀雄、また
中原中也などに少年時代から青年期にかけてのめりこんでいく自分がいました
 
耽美主義的な思想ともいえるこの事に生涯をかけて興味がそそられて
きました
 
ここで間違っては困る事が
 
僕は同性愛者ではありませんし女装的な趣味もありません
単なるノーマルな性を受けてずっと生きてきましたので
興味と趣味が耽美的なものだったと思うのです
 
自分の顔をはじめてメイクしたのは13歳です
男3人兄弟なのでメイク道具は母親しか持っていません
 
というのが一般的ですが
 
僕の実家は資生堂の化粧品を扱うチェーンストア
でしたので、倉庫には大量の試供品が山のように
ありましたので、自室に持ち込む事は簡単な
ことでした
 
女装メイクではありませんよ
 
デビッドボウイやマークボラン、ミックジャガー
ルーリードのメイクを見よう見まねでお化粧していくことが
ひとつの趣味でもありました
 
まさかこの頃は後に美容師になるとは
思ってもいませんでしたけど・・
 
70年代の初め頃のグラムロックと
70年代後半からのニューウエイブの
流れは基本には耽美的思考なので
サウンドは別として同じモノです
 
一連の流れといいますか・・・
 
70年代後半は耽美的なは
デビッドシルビアンやザバウハウスに受け継がれて
いきました
 
ボウイだってグラムロックと言われているのは
ほんの数年の間でありグラムからモードへ
そしてファンクへと以降していきました


2022年12月4日(日) 日々ROCK的な・・・



着たい服がない場合は
どうしますか?
 
自分でつくるしかないでしょ!
 
売ってないんだからつくるしかない
買いたくてもないんだからしかたがない
たとえあったとしても高価なものじゃ
買えません
 
60年代や70年代はそういう時代でした
 
ましてや
 
僕の様に過疎地の田舎に暮らす
ロックフリークスは
 
当然、着る服は断念するしかなかったわけです
 
たまたま僕には10歳上、5歳上の兄がいましたので
60年代〜70年代にかけては最先端なものが着れました
 
おさがりですね
 
しかし
 
おさがりだけじゃダメでしょ!
 
売ってないんだからつくるしかない
 
なので手縫いで中学の家庭科の授業だけの
技術で服を改良してつくったものです
 
たとえばジャージのパンツをパンタロンに
してみたり
 
制服の袖のボタンを必要異常に5個も6個もつけたみたり
 
3個4個だけだとヤンキーと同じになってしまいますからね
 
服に興味を持ったのではなくて
あくまでも物心ついた頃からファッションに興味を持ったんですよね
 
60年代はモッズにおけるファッション・・
それって日本においてはアイビーファッションでもありました
 
60年代、70年代はメンズクラブを2人の兄は毎月買っていたので
それを見ていろいろ勉強しました
 
しかしねえ
 
どうもアイビーってのが苦手でねえ
VANなんか超ダサい服しかない
 
僕にはかっこいいという意味が早いうちから
そういうことではなくて別次元にありました
 
髪型もやばいくらい、恐ろしいくらい
かっこ悪かった!
 
クールカットとか
あの刈り上げたスタイルが若者であっても
なんで自らおっさんにしたいんだろうと
僕はそう思ってましたね
 
やっぱり、ブライアンジョーンズの髪も
服装もかっこいいと思っていたし
キースムーンのスタイルがかっこいいって思った
ものです
 
ビートルズはやっぱりリボルバーのあの頃は
ジョージの雰囲気がかっこ良かったです
 
メンズクラブですか?
 
毎月小学生の頃からかかさず見てました
 
なんで?
ファッションが好きだったからですね
 
街のアイビーリーガーズってページがあって
今で言うところのストリートスナップ写真なんですけど
あれが一番僕は楽しかったですね
 
プロのスタイリストって面白くないって
思って見てました
 
その昔
銀座には
みゆき族って族がいました
 
僕から見るなら70年代の本物の族のほうが
かっこいい!
 
リーゼントに眉毛を剃り落したほうが
かっこいいと思えた
 
パンチよりリーゼントのほうが
良かったかな
 
そうは言っても
ファッションは趣味嗜好のものなんで
 
とやかくは言えないけど・・
 
60年代、70年代の服も髪もスタイリングって
今でもずっと勉強になりますね


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